Romans 3:20-9:33

Japanese(i) 20 律法の行爲によりては、一人だに神のまへに義とせられず、律法によりて罪は知らるるなり。 21 然るに今や律法の外に神の義は顯れたり、これ律法と預言者とに由りて證せられ、 22 イエス・キリストを信ずるに由りて凡て信ずる者に與へたまふ神の義なり。之には何等の差別あるなし。 23 凡ての人、罪を犯したれば神の榮光を受くるに足らず、 24 功なくして神の恩惠により、キリスト・イエスにある贖罪によりて義とせらるるなり。 25 即ち神は忍耐をもて過來しかたの罪を見遁し給ひしが、己の義を顯さんとて、キリストを立て、その血によりて信仰によれる宥の供物となし給へり。 26 これ今おのれの義を顯して、自ら義たらん爲、またイエスを信ずる者を義とし給はん爲なり。 27 さらば誇るところ何處にあるか。既に除かれたり、何の律法に由りてか、行爲の律法か、然らず、信仰の律法に由りてなり。 28 我らは思ふ、人の義とせらるるは、律法の行爲によらず、信仰に由るなり。 29 神はただユダヤ人のみの神なるか、また異邦人の神ならずや、然り、また異邦人の神なり。 30 神は唯一にして、割禮ある者を信仰によりて義とし、割禮なき者をも信仰によりて義とし給へばなり。 31 然らば我ら信仰をもて律法を空しくするか、決して然らず、反つて律法を堅うするなり。4 1 さらば我らの先祖アブラハムは肉につきて何を得たりと言はんか。 2 アブラハム若し行爲によりて義とせられたらんには誇るべき所あり、然れど神の前には有ることなし。 3 聖書に何と云へるか『アブラハム神を信ず、その信仰を義と認められたり』と。 4 それ働く者への報酬は恩惠といはず、負債と認めらる。 5 されど働く事なくとも、敬虔ならぬ者を義としたまふ神を信ずる者は、その信仰を義と認めらるるなり。 6 ダビデもまた行爲なくして神に義と認めらるる人の幸福につきて斯く云へり。曰く、 7 『不法を免され、罪を蔽はれたる者は幸福なるかな、 8 主が罪を認め給はぬ人は幸福なるかな』 9 されば此の幸福はただ割禮ある者にのみあるか、また割禮なき者にもあるか、我らは言ふ『アブラハムはその信仰を義と認められたり』と。 10 如何なるときに義と認められたるか、割禮ののちか、無割禮のときか、割禮の後ならず、無割禮の時なり。 11 而して無割禮のときの信仰によれる義の印として割禮の徽を受けたり、これ無割禮にして信ずる凡ての者の義と認められん爲に、その父となり、 12 また割禮のみに由らず、我らの父アブラハムの無割禮のときの信仰の跡をふむ割禮ある者の父とならん爲なり。 13 アブラハム世界の世嗣たるべしとの約束を、アブラハムとその裔との與へられしは、律法に由らず、信仰の義に由れるなり。 14 もし律法による者ども世嗣たらば、信仰は空しく約束は廢るなり。 15 それ律法は怒を招く、律法なき所には罪を犯すこともなし。 16 この故に世嗣たることの恩惠に干らんために信仰に由るなり、是かの約束のアブラハムの凡ての裔、すなわち律法による裔のみならず、彼の信仰に效ふ裔にも堅うせられん爲なり。 17 彼はその信じたる所の神、すなはち死人を活し、無きものを有るものの如く呼びたまふ神の前にて、我等すべての者の父たるなり。録して『われ汝を立てて多くの國人の父とせり』とあるが如し。 18 彼は望むべくもあらぬ時になほ望みて信じたり、是なんぢの裔はかくの如くなるべしと言ひ給ひしに隨ひて、多くの國人の父とならん爲なりき。 19 かくて凡そ百歳に及びて己が身の死にたるがごとき状なると、サラの胎の死にたるが如きとを認むれども、その信仰よわらず、 20 不信をもて神の約束を疑はず、信仰により強くなりて神に榮光を歸し、 21 その約し給へることを、成し得給ふと確信せり。 22 之に由りて其の信仰を義と認められたり。 23 斯く『義と認められたり』と録したるは、アブラハムの爲のみならず、また我らの爲なり。 24 我らの主イエスを死人の中より甦へらせ給ひし者を信ずる我らも、その信仰を義と認められん。 25 主は我らの罪のために付され、我らの義とせられん爲に甦へらせられ給へるなり。5 1 斯く我ら信仰によりて義とせられたれば、我らの主イエス・キリストに頼り、神に對して平和を得たり。 2 また彼により信仰によりて、今立つところの恩惠に入ることを得、神の榮光を望みて喜ぶなり。 3 然のみならず患難をも喜ぶ、そは患難は忍耐を生じ、 4 忍耐は練達を生じ、練達は希望を生ずと知ればなり。 5 希望は恥を來らせず、我らに賜ひたる聖靈によりて神の愛われらの心に注げばなり。 6 我等のなほ弱かりし時、キリスト定りたる日に及びて、敬虔ならぬ者のために死に給へり。 7 それ義人のために死ぬるもの殆どなし、仁者のためには死ぬることを厭はぬ者もやあらん。 8 然れど我等がなほ罪人たりし時、キリスト我等のために死に給ひしに由りて、神は我らに對する愛をあらはし給へり。 9 斯く今その血に頼りて我ら義とせられたらんには、まして彼によりて怒より救はれざらんや。 10 我等もし敵たりしとき御子の死に頼りて神と和ぐことを得たらんには、まして和ぎて後その生命によりて救はれざらんや。 11 然のみならず今われらに和睦を得させ給へる我らの主イエス・キリストに頼りて神を喜ぶなり。 12 それ一人の人によりて罪は世に入り、また罪によりて死は世に入り、凡ての人罪を犯しし故に、死は凡ての人に及べり。 13 律法のきたる前にも罪は世にありき、されど律法なくば罪は認めらるること無し。 14 然るにアダムよりモーセに至るまで、アダムの咎と等しき罪を犯さぬ者の上にも死は王たりき。アダムは來らんとする者の型なり。 15 されど恩惠の賜物は、かの咎の如きにあらず、一人の咎によりて多くの人の死にたらんには、まして神の恩惠と一人の人イエス・キリストによる恩惠の賜物とは、多くの人に溢れざらんや。 16 又この賜物は罪を犯しし一人より來れるものの如きにあらず、審判は一人よりして罪を定むるに至りしが、恩惠の賜物は多くの咎よりして義とするに至るなり。 17 もし一人の咎のために一人によりて死は王となりたらんには、まして恩惠と義の賜物とを豐に受くる者は、一人のイエス・キリストにより生命に在りて王たらざらんや。 18 されば一つの咎によりて罪を定むることの凡ての人に及びしごとく、一つの正しき行爲によりて義とせられ生命を得るに至ることも、凡ての人に及べり。 19 それは一人の不從順によりて多くの人の罪人とせられし如く、一人の從順によりて多くの人、義人とせらるるなり。 20 律法の來りしは咎の増さんためなり。されど罪の増すところには恩惠も彌増せり。 21 これ罪の死によりて王たりし如く、恩惠も義によりて王となり、我らの主イエス・キリストに由りて永遠の生命に至らん爲なり。6 1 されば何をか言はん、恩惠の増さんために罪のうちに止るべきか、 2 決して然らず、罪に就きて死にたる我らは爭で尚その中に生きんや。 3 なんじら知らぬか、凡そキリスト・イエスに合ふバプテスマを受けたる我らは、その死に合ふバプテスマを受けしを。 4 我らはバプテスマによりて彼とともに葬られ、その死に合せられたり。これキリスト父の榮光によりて死人の中より甦へらせられ給ひしごとく、我らも新しき生命に歩まんためなり。 5 我らキリストに接がれて、その死の状にひとしくば、その復活にも等しかるべし。 6 我らは知る、われらの舊き人、キリストと共に十字架につけられたるは、罪の體ほろびて、此ののち罪に事へざらん爲なるを。 7 そは死にし者は罪より脱るるなり。 8 我等もしキリストと共に死にしならば、また彼とともに活きんことを信ず。 9 キリスト死人の中より甦へりて復死に給はず、死もまた彼に主とならぬを我ら知ればなり。 10 その死に給へるは罪につきて一たび死に給へるにて、その活き給へるは神につきて活き給へるなり。 11 斯くのごとく汝らも己を罪につきては死にたるもの、神につきては、キリスト・イエスに在りて活きたる者と思ふベし。 12 されば罪を汝らの死ぬべき體に王たらしめて其の慾に從ふことなく、 13 汝らの肢體を罪に献げて不義の器となさず、反つて死人の中より活き返りたる者のごとく己を神にささげ、その肢體を義の器として神に献げよ。 14 汝らは律法の下にあらずして恩惠の下にあれば、罪は汝らに主となる事なきなり。 15 然らば如何に、我らは律法の下にあらず、恩惠の下にあるが故に、罪を犯すべきか、決して然らず。 16 なんぢら知らぬか、己を献げ僕となりて、誰に從ふとも其の僕たることを。或は罪の僕となりて死に至り、或は從順の僕となりて義に至る。 17 然れど神に感謝す、汝等はもと罪の僕なりしが、傳へられし教の範に心より從ひ、 18 罪より解放されて義の僕となりたり。 19 斯く人の事をかりて言ふは、汝らの肉よわき故なり。なんぢら舊その肢體をささげ、穢と不法との僕となりて不法に到りしごとく、今その肢體をささげ、義の僕となりて潔に到れ。 20 なんぢら罪の僕たりしときは義に對して自由なりき。 21 その時に今は恥とする所の事によりて何の實を得しか、これらの事の極は死なり。 22 然れど今は罪より解放されて神の僕となりたれば、潔にいたる實を得たり、その極は永遠の生命なり。 23 それ罪の拂ふ價は死なり、然れど神の賜物は我らの主キリスト・イエスにありて受くる永遠の生命なり。7 1 兄弟よ、なんぢら知らぬか、(われ律法を知る者に語る)律法は人の生ける間のみ之に主たるなり。 2 夫ある婦は律法によりて夫の生ける中は之に縛らる。然れど夫死なば夫の律法より解かるるなり。 3 されば夫の生ける中に他の人に適かば淫婦と稱へらるれど、夫死なばその律法より解放さるる故に、他の人に適くとも淫婦とはならぬなり。 4 わが兄弟よ、斯くのごとく汝等もキリストの體により律法に就きて死にたり。これ他の者、すなはち死人の中より甦へらせられ給ひし者に適き、神のために實を結ばん爲なり。 5 われら肉に在りしとき、律法に由れる罪の情は我らの肢體のうちに働きて、死のために實を結ばせたり。 6 されど縛られたる所に就きて我等いま死にて律法より解かれたれば、儀文の舊きによらず、靈の新しきに從ひて事ふることを得るなり。 7 さらば何をか言はん、律法は罪なるか、決して然らず、律法に由らでは、われ罪を知らず、律法に『貪る勿れ』と言わずば、慳貪を知らざりき。 8 されど罪は機に乘じ誡命によりて各樣の慳貪を我がうちに起せり、律法なくば罪は死にたるものなり。 9 われ曾て律法なくして生きたれど、誡命きたりし時に罪は生き、我は死にたり。 10 而して我は生命にいたるべき誡命の反つて死に到らしむるを見出せり。 11 これ罪は機に乘じ誡命によりて我を欺き、かつ之によりて我を殺せり。 12 それ律法は聖なり、誡命もまた聖にして正しく、かつ善なり。 13 されば善なるもの我に死となりたるか。決して然らず、罪は罪たることの現れんために、善なる者によりて我が内に死を來らせたるなり。これ誡命によりて罪の甚だしき惡とならん爲なり。 14 われら律法は靈なるものと知る、されど我は肉なる者にて罪の下に賣られたり。 15 わが行ふことは我しらず、我が欲する所は之をなさず、反つて我が憎むところは之を爲すなり。 16 わが欲せぬ所を爲すときは律法の善なるを認む。 17 然れば之を行ふは我にあらず、我が中に宿る罪なり。 18 我はわが中、すなわち我が肉のうちに善の宿らぬを知る、善を欲すること我にあれど、之を行ふ事なければなり。 19 わが欲する所の善は之をなさず、反つて欲せぬ所の惡は之をなすなり。 20 我もし欲せぬ所の事をなさば、之を行ふは我にあらず、我が中に宿る罪なり。 21 然れば善をなさんと欲する我に惡ありとの法を、われ見出せり。 22 われ中なる人にては神の律法を悦べど、 23 わが肢體のうちに他の法ありて、我が心の法と戰ひ、我を肢體の中にある罪の法の下に虜とするを見る。 24 噫われ惱める人なるかな、此の死の體より我を救はん者は誰ぞ。 25 我らの主イエス・キリストに頼りて神に感謝す、然れば我みづから心にては神の律法につかへ、内にては罪の法に事ふるなり。8 1 この故に今やキリスト・イエスに在る者は罪の定めらるることなし。 2 キリスト・イエスに在る生命の御靈の法は、なんじを罪と死との法より解放したればなり。 3 肉によりて弱くなれる律法の成し能はぬ所を神は爲し給へり、即ち己の子を罪ある肉の形にて罪のために遣し、肉に於て罪を定めたまへり。 4 これ肉に從はず靈に從ひて歩む我らの中に、律法の義の完うせられん爲なり。 5 肉にしたがふ者は肉の事をおもひ、靈にしたがふ者は靈の事をおもふ。 6 肉の念は死なり、靈の念は生命なり、平安なり。 7 肉の念は神に逆ふ、それは神の律法に服はず、否したがふこと能はず、 8 また肉に居る者は神を悦ばすこと能はざるなり。 9 然れど神の御靈なんぢらの中に宿り給はば、汝らは肉に居らで靈に居らん、キリストの御靈なき者はキリストに屬する者にあらず。 10 若しキリスト汝らに在さば、體は罪によりて死にたる者なれど、靈は義によりて生命に在らん。 11 若しイエスを死人の中より甦へらせ給ひし者の御靈なんぢらの中に宿り給はば、キリスト・イエスを死人の中より甦へらせ給ひし者は、汝らの中に宿りたまふ御靈によりて、汝らの死ぬべき體をも活し給はん。 12 されば兄弟よ、われらは負債あれど、肉に負ふ者ならねば、肉に從ひて活くべきにあらず。 13 汝等もし肉に從ひて活きなば、死なん。もし靈によりて體の行爲を殺さば活くべし。 14 すべて神の御靈に導かるる者は、これ神の子なり。 15 汝らは再び懼を懷くために僕たる靈を受けしにあらず、子とせられたる者の靈を受けたり、之によりて我らはアバ父と呼ぶなり。 16 御靈みづから我らの靈とともに我らが神の子たることを證す。 17 もし子たらば世嗣たらん、神の嗣子にしてキリストと共に世嗣たるなり。これはキリストとともに榮光を受けん爲に、その苦難をも共に受くるに因る。 18 われ思うに、今の時の苦難は、われらの上に顯れんとする榮光にくらぶるに足らず。 19 それ造られたる者は、切に慕ひて神の子たちの現れんことを待つ。 20 造られたるものの虚無に服せしは、己が願によるにあらず、服せしめ給ひし者によるなり。 21 然れどなほ造られたる者にも滅亡の僕たる状より解かれて、神の子たちの光榮の自由に入る望は存れり。 22 我らは知る、すべて造られたるものの今に至るまで共に嘆き、ともに苦しむことを。 23 然のみならず、御靈の初の實をもつ我らも自ら心のうちに嘆きて、子とせられんこと、即ちおのが軆の贖はれんことを待つなり。 24 我らは望によりて救はれたり、眼に見ゆる望は望にあらず、人その見るところを爭でなほ望まんや。 25 我等もし其の見ぬところを望まば、忍耐をもて之を待たん。 26 斯くのごとく御靈も我らの弱を助けたまふ。我らは如何に祈るべきかを知らざれども、御靈みづから言ひ難き歎をもて執成し給ふ。 27 また人の心を極めたまふ者は御靈の念をも知りたまふ。御靈は神の御意に適ひて聖徒のために執成し給へばなり。 28 神を愛する者、すなはち御旨によりて召されたる者の爲には、凡てのこと相働きて益となるを我らは知る。 29 神は預じめ知りたまふ者を御子の像に象らせんと預じめ定め給へり。これ多くの兄弟のうちに、御子を嫡子たらせんが爲なり。 30 又その預じめ定めたる者を召し、召したる者を義とし、義としたる者には光榮を得させ給ふ。 31 然れば此等の事につきて何をか言はん、神もし我らの味方ならば、誰か我らに敵せんや。 32 己の御子を惜まずして我ら衆のために付し給ひし者は、などか之にそへて萬物を我らに賜はざらんや。 33 誰か神の選び給へる者を訴へん、神は之を義とし給ふ。 34 誰か之を罪に定めん、死にて甦へり給ひしキリスト・イエスは神の右に在して、我らの爲に執成し給ふなり。 35 我等をキリストの愛より離れしむる者は誰ぞ、患難か、苦難か、迫害か、飢か、裸か、危險か、劍か。 36 録して『汝のために我らは、終日ころされて屠らるべき羊の如きものとせられたり』とあるが如し。 37 されど凡てこれらの事の中にありても、我らを愛したまふ者に頼り、勝ち得て餘あり。 38 われ確く信ず、死も生命も、御使も、權威ある者も、今ある者も後あらん者も、力ある者も、 39 高きも深きも、此の他の造られたるものも、我らの主キリスト・イエスにある神の愛より、我らを離れしむるを得ざることを。9 1 我キリストに在りて眞をいひ虚僞を言はず、 2 我に大なる憂あることと心に絶えざる痛あることとを、我が良心も聖靈によりて證す。 3 もし我が兄弟わが骨肉の爲にならんには、我みづから詛はれてキリストに棄てらるるも亦ねがふ所なり。 4 彼等はイスラエル人にして、彼らには神の子とせられたることと、榮光と、もろもろの契約と、授けられたる律法と、禮拜と、もろもろの約束とあり。 5 先祖たちも彼等のものなり、肉によれば、キリストも彼等より出で給ひたり。キリストは萬物の上にあり、永遠に讃むべき神なり、アァメン。 6 それ神の言は廢りたるに非ず。イスラエルより出づる者みなイスラエルなるに非ず。 7 また彼等はアブラハムの裔なればとて皆その子たるに非ず『イサクより出づる者は、なんぢの裔と稱へらるベし』とあり。 8 即ち肉の子らは神の子らにあらず、ただ約束の子等のみ其の裔と認めらるるなり。 9 約束の御言は是なり、曰く『時ふたたび巡り來らば、我きたりてサラに男子あらん』と。 10 然のみならず、レベカも我らの先祖イサク一人によりて孕りたる時、 11 その子いまだ生れず、善も惡もなさぬ間に、神の選の御旨は動かず、 12 行爲によらで召す者によらん爲に『兄は次弟に事ふベし』とレベカに宣へり。 13 『われヤコブを愛しエザウを憎めり』と録されたる如し。 14 さらば何をか言はん、神には不義あるか。決して然らず。 15 モーセに言ひ給ふ『われ憐まんとする者をあはれみ、慈悲を施さんとする者に慈悲を施すべし』と。 16 されば欲する者にも由らず、走る者にも由らず、ただ憐みたまふ神に由るなり。 17 パロにつきて聖書に言ひ給ふ『わが汝を起したるは此の爲なり、即ち我が能力を汝によりて顯し、且わが名の全世界に傳へられん爲なり』と。 18 されば神はその憐まんと欲する者を憐み、その頑固にせんと欲する者を頑固にし給ふなり。 19 さらば汝あるいは我に言はん『神なんぞなほ人を咎め給ふか、誰かその御定に悖る者あらん』 20 ああ人よ、なんぢ誰なれば神に言ひ逆ふか、造られしもの造りたる者に對ひて『なんぢ何ぞ我を斯く造りし』と言ふべきか。 21 陶工は同じ土塊をもて、此を貴きに用ふる器とし、彼を賤しきに用ふる器とするの權なからんや。 22 もし神、怒をあらはし權力を示さんと思しつつも、なほ大なる寛容をもて、滅亡に備れる怒の器を忍び、 23 また光榮のために預じめ備へ給ひし憐憫の器に對ひて、その榮光の富を示さんとし給ひしならば如何に。 24 この憐憫の器は我等にして、ユダヤ人の中よりのみならず、異邦人の中よりも召し給ひしものなり。 25 ホゼヤの書に『我わが民たらざる者を我が民と呼び、愛せられざる者を愛せらるる者と呼ばん、 26 「なんぢら我が民にあらず」と言ひし處にて、彼らは活ける神の子と呼ばるべし』と宣へる如し。 27 イザヤもイスラエルに就きて叫べり『イスラエルの子孫の數は海の砂のごとくなりとも、救はるるはただ殘の者のみならん。 28 主、地の上に御言をなし了へ、これを遂げ、これを速かにし給はん』 29 また『萬軍の主われらに裔を遺し給はずば、我等ソドムの如くになり、ゴモラと等しかりしならん』とイザヤの預言せしが如し。 30 然らば何をか言はん、義を追ひ求めざりし異邦人は義を得たり、即ち信仰による義なり。 31 イスラエルは義の律法を追ひ求めたれど、その律法に到らざりき。 32 何の故か、かれらは信仰によらず、行爲によりて追ひ求めたる故なり。彼らは躓く石に躓きたり。 33 録して『視よ、我つまづく石さまたぐる岩をシオンに置く、之に依頼む者は辱しめられじ』とあるが如し。